開演直前のステージ上に映し出された“color bars”と日本武道館周辺の雪景色とのスクラッチが、当日の記憶を呼び覚ます———そう。彼の日、2012年2月29日の閏日は、雪の降り頻る下、凍てつくような寒さに見舞われていた。
本作『Bon Voyage』は、東京事変が7年半の活動にピリオドを打つべく敢行したアリーナツアーの千秋楽を完全収録した作品だ。ツアーは2月14日の横浜アリーナを皮切りに、大阪城ホール、日本武道館まで3都市6公演が行われ、本作収録日の公演は国内118ヶ所と海外4ヶ所(香港・台湾・シンガポール)計122ヶ所の映画館で生中継された。
斎藤ネコ率いる40人のオーケストラが奏でる荘厳な「生きる」でライブは幕を開ける。百花絢爛のヘッドドレスを着け、左右から射すレーザー光線を道標にその中央から登場する椎名林檎のボーカルは、1曲目にしてすでに絶唱であり、続く2曲目の「新しい文明開化」から「今夜はから騒ぎ」、「OSCA」、「FOUL」と経て「シーズンサヨナラ」に至るまでの畳み掛けは、 序盤からクライマックスのような興奮と多幸感を視聴者にもたらす。
この公演には東京事変の魅力とその足跡が詰め込まれていた。たとえばイデビアン・クルーのダンスは、時に椎名の分身として機能し、またある時はPVを想起させ、はたまたある時にはアルバム毎のコンセプトを再現していたし、「天国へようこそ」のアウトロは本公演と最後の全国ツアー“DISCOVERY”とを繋ぐミッシングリンクのようでもあった。
椎名の持つボーカリスト、パフォーマーとしての才能の豊かさは全編を通じて圧巻だ。ジャンヌ・ダルクのような勇ましさと迸るまでの肉体性。淑女のような気品と艶。少女が持つ羞じらいと可憐。人間の喜怒哀楽と女性の持つ表情の全てを楽曲毎に表現していく姿は、彼女が今、表現者として充実期に在る事を十二分に伝えてくる。カメラはそんな椎名の繊細な表情の機微や、メンバーのアイコンタクトから溢れる笑顔まで逃さず記録している。
映像監督・ウスイヒロシの編集手腕は、この高いエンターテインメント性を擁した時間芸術の魅力と5人の光彩を、最大限の形で視聴者へ届けんとする気概とフェティシズムに溢れている。この日幸運にも未曾有のチケット競争率を勝ち抜いて武道館にいた人、残念ながらそれが叶わなかった人、また本作で初めて彼らのライブに触れる人、その全ての人に平等に———オーケストラ各員の呼吸や、会場では全貌の確認が不可能だった床照明までをも体感出来る程に———本作『Bon Voyage』は極上の特等席を約束する。
そもそも椎名という驚異的な才能の下に集った四人の音楽家———浮雲、伊澤一葉、亀田誠治、刄田綴色———は、自身の人格をバンドに持ち込み、稀有なバランスを成立させて“何者でもない音楽”を追求してきた集団だった。椎名はその過程を“学校”であり“実験室”と喩えた事もあった。そして気が付けば各々がファンから愛される存在となっていた。だからこの日、ラストアルバム『color bars』収録ナンバーの演奏や、「アイスクリームの歌」で男性全員がミュージカル調に歌って踊る微笑ましい一幕は、言わば4人の成長を確認出来る“卒業制作”だったのであり、全ての楽曲は、総じて7年半を賭して心血を注いだ彼らの“研究成果”なのだという事が、本作を観ると十二分に理解出来る。
解散公演だからと言って、彼らは言葉で多くを語らない。「能動的三分間」、「天国へようこそ」、「勝ち戦」で映し出される日本語訳詞の字幕には確かなメッセージが込められていたし、何より「青春の瞬き」の《時よ止まれ何一つ変わってはならないのさ/今正に僕ら目指していた場所へ辿り着いたんだ》という歌詞は、彼らが事変として過ごして来た日々の眩さと尊さ、そしてその終焉を観客へと伝えるのに十分だ。そしてだからこそライブ終盤、穏やかな空気が流れた最小限のMCは尚更に胸を打つのである。
椎名のソロ曲「丸の内サディスティック」と第一期メンバーによるデビューシングル「群青日和」も現在の事変色に染上げ、椎名が「透明人間」で《またあなたに逢えるのを楽しみに待って/さようなら》という歌声を響かせて、東京事変は万感胸に迫る観客の声援と拍手の中、ディスプレイの砂嵐を残して去っていった。
何時の世に於いても、去り行く者は皆美しい。だが本作は解散公演だから素晴らしいのではない。これ程までに豊潤なパフォーマンスを実現出来る集団が、その絶頂期に自らの手で潔く幕を引いた、その美学と放熱の記録だからこそ素晴らしいのだ。
椎名の解散声明通り、再生装置によって“蘇る”この映像作品は、後年懐かしさこそ感じても、古びる事は決して無いはずだと筆者は確信している。それこそが事変の音楽が擁する革新性の凄みであり、つまりはシーンに於ける“事変”であったのだという事を、多くのリスナーと共に本作を所蔵する事でいつか証明したい。それがこの愛すべき音楽家集団と同時代を共に出来た悦びに対する最期の返礼だと思って止まないのである。
(内田正樹)