「深夜枠」ライナーノーツ

 「《シングルのクオリティは常にアルバムと等しいそれで在るべきだ》。《理想としては完成した楽曲はすべて何らかアルバムという形態でまとめるのが曲の生かし方として一番美しい》。これは僕と椎名さんが、彼女のソロ活動でも事変でも同じように持ち続けてきた共通見解です」
 以前、EMIミュージック・ジャパンの山口一樹ディレクターがこう話していたのを憶えている。
 『深夜枠』は、東京事変がリリースした全シングルのカップリング曲が初めてアルバムに集約された作品である。曲順はPV集『CS Channel』に収録されていた「ハンサム過ぎて」から始まって、活動の年表を巻き戻すかのように2011年の楽曲から2004年のそれへとほぼ遡る構成となっている。それでいて「体」、「心」、「顔」という、人となりを表すタイトル曲がバランス良く配置されている辺りからは、これまでのオリジナルアルバムに用いられてきた、椎名のディレクションに於けるマナーも感じられる。
 それにしても不思議なアルバムだ。というのも、本作は全くもって“企画盤”ぽくない。もっと言えばこれまでの『教育』、『大人』、『娯楽』、『スポーツ』、『大発見』と並ぶ(またそのいずれとも異なる)“オリジナルアルバム”と言いたくなる様相ですらある。『深夜枠』というタイトル通り、ディープな実験性とソリッドなアレンジの楽曲群が並んだ本作のグラマラスな世界観は、事変が描き続けてきた人間の生が持つ性急なまでの躍動であり瞬間的な刹那というモチーフの凝縮だ。それは果たして一篇の映画の--もしかしたら『INCIDENTS TOKYO』というタイトルの--サウンドトラックのようでもある。
 そして「恋は幻」、「ダイナマイト」、「その淑女ふしだらにつき」といったカバー曲も含めて、如何に彼らがシングルリリースの度に表題曲とは異なるアプローチでカップリングへと取り組み、シングルの世界観をより盤石なものにせんと情熱を注ぎ続けたか、その飽く無き音楽実験の軌跡を従来とは異なる観点から紐解くことの出来る資料性をも備えている。
 さて、本作は「ただならぬ関係」という新曲(!)で幕を閉じるのだが、この楽曲、レコーディング時期等詳細なデータが一切アナウンスされていない。その上、何とPVまで存在(!!)するというので、関係者へ問い合わせたところ「鋭意制作中」(!?)という回答で、本稿執筆時点ではその全容を知る事が叶わない。(まさか曲もPVも新録なのか……??) 椎名は過去、「事変はいつも取って出しで、ストックなんてほとんど存在しない」という発言をしていたが、こうして新曲の存在が明らかになると、何だかまだランナーズ・ハイのような“続き”があるのでは?とあらぬ期待も寄せてしまう。いずれにせよやはり規格外の存在と言うか喰えない連中と言うか、つくづく解散してまで我々を煙に撒く音楽家集団ではないか。
 思えば解散ツアー《Bon Voyage》の終演後、スクリーンのエンドロールとともに場内で流されていたSEが「ハンサム過ぎて」だった。それを1曲目に据えたこの『深夜枠』は、アルバム自体が丸々、東京事変というヒストリーのエンドロールなのだという捉え方も出来るし、前述の山口氏の発言を踏まえて考察すれば、事変の遺したスタジオワークが本作でコンプリートされたのだという見方もあるだろう。
 ともあれ、未だ《Bon Voyage》の、東京事変の夢から醒めないカスタマー達への粋なプレゼントとして、本作『深夜枠』が十二分のポテンシャルを持ったプログラムであることは間違いない。

(内田正樹)